私たちについて
留学経験:カナダ・オーストラリア
幼少期から中学まで、北海道大樹町で育ちました。
大樹町は、今でこそ、宇宙事業などで名が知られてきましたが、酪農が盛んな小さな町で、町のほとんどがお互いのことを知っているほど、小さな町です。
だからこそ、次のステップへいきたいという思いも強く、高校から親元を離れ、帯広市の高校に進学しました。
弾けてしまった高校生活
高校在学中は、下宿をしていました。
同じ下宿先の先輩や友達と、毎日、楽しい生活を送っていました。
(遊びすぎて、勉強はしていませんでした。
もっと高校の時に、英語の勉強をしていたら…と思ってしまう今日この頃(笑))
大学を卒業したあと、地元の大樹町へ戻り、両親が営んでいる建設会社で働き始めました。
建設業界は、どこも本当に忙しく、朝5時~夜遅くまで仕事という日々でした。
そして、あっという間に26歳。
高校の同窓会で、今の妻(朋弥)と再会しました。
そして、27歳のときに結婚。
長男も生まれ、とても幸せな日々でしたが、毎日、仕事が忙しく、家族と向き合える時間がありませんでした。
家族のためと仕事を頑張りながらも、ロボットのように感情をなくし、働いていました。
そんな私に妻の不満は爆発。
年末のある日、やっと仕事が1日休みになり、妻と話し合いました。
この辺で、人生を一度リセットしてみないか。。。
という話になり、妻がさりげなく、「留学してみたら?!」と言いました。
えっ?!留学!?!?
私は、家業の跡取りだったため、一生、建設業で生きていくものだと思っていました。
でも、留学できるかもしれない!そう考えるとわくわくしました。
感情をなくして、働いているこの状況から脱出できるかもしれない。
ただ収入がなくなる!
妻は、私と結婚する前から留学エージェントの仕事をしていましたが、出産を機に、休業していました。
私が仕事をやめ、留学するということは、収入がまったくなるなるということ。
そして、無職。
ただ不安もあるけれども、新しい世界を見てみたい
もっと視野を広げていきたい
自分の足で、自分の人生を生きたい。
そして、中学1年の時に諦めた英語も、もしかしたら話せるようになるかもしれない。
不安な気持ちの方が強かったけれども、妻と何度も将来のこと、子供のこと、そして自分たちの人生のことを話し合い、留学することに決めました。
私が29歳の時、妊娠中の妻と子供1人とともに、オーストラリアへ渡りました。
人生初の海外でした。
私は、オーストラリア・シドニーにあるEmbassy English(エンバシーイングリッシュ)を留学先として選びました。
学校の昼休みに、学校近くのハイドパークで過ごしました。
これまでの人生で、本をゆっくり読むことや人生について考えること、他の人の意見や考えをとことん聞くことなどなかったので、ハイドパークで過ごした時間は忘れられません。
英語もまったくできなかったのですが、少しずつ、単語や文法を覚えて、それを使うように努力をして、日常会話に困らないほどになりました。
シドニーでアルバイトも体験し、オーストラリアでしかできないような多国籍の方への接客も経験できました。
妻の出産があったため、長い留学ではありませんでしたが、充実した日々を過ごすことができました。
さすがに30歳を目前にして、ずっと無職というわけにはいかないので、留学中も、次にどんな仕事をしようかと模索していました。
ある日、語学学校で出会った友達のパーティーに参加しました。
その時、留学エージェントの話になりました。
「出発前に聞いていた話と全然違った」
「保険の使い方、教えてもらっていなかったから、せっかく保険に加入していたのに、病院代を払ってしまった」
「出発前は、毎日のように連絡くれたのに、シドニーについてから、一回も連絡くれなくなった」
などなど、どれも留学エージェントのよくない話ばかりでした。
もっと、現地に精通している留学エージェントがあれば、これから留学をする人たちも、きっと充実した留学になるはず!
そう思い、留学エージェントの立ち上げを決意しました。
オーストラリアの語学学校の視察にも行き、実際に通学している生徒さんの話も聞き、今、留学している人が抱えている課題なども聞くことができました。
そして、帰国後すぐに、アンアルウェンを法人化しました。
私が留学中に経験したこと、そして他の留学生から聞いた体験談をもとに、お客様の留学がすばらしいものになるように、お客様がいつも私たちアンアルウェンがそばについていると感じられるような会社で居続けたいと思っています。
幼少期は、北海道帯広市で育ちました。
父は画家、母は珠算を教え、祖父母と妹と愛犬たちと生活していました。
苦しかった高校受験に何とか合格し、帯広柏葉高校に進学しました。
今まで、受験のため、いい高校に入るために勉強を頑張ってきた私の勉強への気持ちが高校に入学と同時になくなりました。
「目標がなくなった」
毎日、学校とアルバイトをするだけ。
物足りなさを感じていた時、昔からの夢だった「短期留学 希望者募集」というポスターが目にとまりました。
そして、高校1年の秋、私はカナダのエドモントンに短期留学をすることになりました。
滞在期間は、たったの10日ほどでしたが、カナダの高校に1週間ほど通いました。
高校の授業にも参加させてもらったのですが、日本の高校の雰囲気とは全く違い、学生たちが楽しんで授業を受けていたことにとにかくびっくりしました。
それと同時に、全く伝わらない自分の英語力のなさに愕然。
海外の高校に行って、海外で勉強がしたい!
英語が話せるようになりたい!
帰国後、父の大反対にあいました。
でも、何度も何度も話し合い、やっとの思いで説得し、私は高校2年の夏、アメリカの高校に向けて出発しました。
1年間の交換留学です。
この留学が私の人生を変えました。
たくさんの友達との出会い、素敵なホストファミリーとの出会い、人生でかけがえのない人たちに出会うことができました。
この留学がなかったら、私の人生はどうなっていたかわかりません。
帰国後、もっと英語の勉強をしたい、海外で学びたいと思い、アメリカのカレッジへ留学一般教養とジャーナリズムを勉強しました。
帰国後、就職活動をして、創業後間もない東京のベンチャー企業で、営業、事務、カウンセリング、コーチング、接客など社会人として必要なことを学びました。
私が勤めたのは、英会話スクールで、「英会話を通して、自己実現をする」を理念として、生徒さんの自己実現のお手伝いをしてきました。
ただ、その自己実現をもっと具体的にサポートしたいと思うようになりました。
ちょうど、日本での英語学習の限界も感じていた時でした。
そんなとき、オーストラリアで起業して間もなかったICNオーストラリア留学情報館の廣瀬淳さんから仕事の話をいただきました。
やはり、自分が学んできたように、留学をして、もっともっと生きた英語を習得してもらいたい!
そう思い、独立し、留学エージェントを設立しました。
25歳の時、アンアルウェンを設立しました。
留学支援事業を主軸に、
・翻訳
・通訳
・英会話スクール講師
を開始。
最初は、知名度も何もなく、留学希望者が今ほど多くなかったので、「留学エージェントして、食べていけるわけがない」「仕事を変えたほうがいい」というアドバイスもありましたが、自分でやりたいと思ったことは留学エージェントの仕事でしたし、この仕事に運命を感じていたので、挑戦をする気持ちは変わりませんでした。
27歳の時、高校の同級生と結婚。
妊娠を機に、仕事をお休みしました。
でも、仕事をしていない私は私じゃない!と思い、長男出産後、すぐに仕事復帰(笑)
29歳の時、転機が訪れました。
夫がこれまで働いてた家業を辞め、オーストラリアへの語学留学を決意しました。
留学先は、オーストラリアのシドニー。長男、そして長女を妊娠中だった私も1か月間、シドニーに滞在しました。
留学の決断は、勇気のいるものでした。
夫は、跡取りでしたし、30歳目前にして、仕事を辞め、無職になるということへの不安は相当なものでした。
でも、一度しかない人生、やりたいことをやる人生を始める!
と二人で決意し、オーストラリアへ渡りました。
留学して、夫の人生は大きく変わりました。
私が留学に対する情熱もさらに高まり、2012年アンアルウェンを法人化し、今は夫と一緒にアンアルウェンを運営しています。
おかげさまで、現在は北海道から沖縄まで、全国各地にいる方からご利用いただいております。
これからも留学に挑戦したい人、英語が話せるようになりたい人、充実した留学生活を送りたい人のサポートをしていきたいと思っています。